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空海伝説

空海は密教のパイオニア!空海が残した偉大な功績とは?【空海伝説後編】

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【空海伝説後編】

唐で密教のすべてを習得した空海さんは、日本に帰る直前に明州の浜で、

「我に人々を救うため密教にふさわしい地を示せ!」

と、祈りを込め密教の法具である三鈷杵(さんごしょ)を放り投げました。

帰国後、空海さんは密教の修行するのにふさわしい場所を探していました。

大和国宇智郡(奈良県五條市付近)を歩いている時に、その時は訪れます。

 

ふいに白と黒の二匹の犬を連れた狩人が目の前に現れたそうです。

空海さんが旅の目的を伝えました。

「修行をする山を探しているんです」

するとその狩人はこう言いました。

「私はその場所を知っている。この犬達を追いなさい。」と、2匹の犬を放ちました。

※画像:高野山教報 より

空海さんはその白と黒の二匹の犬を後を追いかけました。

 

しばらく付いて行くと、山中に百町(11キロ)ほど入ったところ鉢をかぶせたような形の平原にたどりつきました。

そこの一本の松に、空海が日本へ帰るときに放り投げたあの三鈷杵が打ち立てられていたのです。

それは確かに空海が唐から投げた三鈷杵でした。

 

その時、眩しい光とともにとても美しい女性が現れました。

その女性の正体は「丹生都比売」(にうつひめ)でした。

※画像:高野山教報 より

丹生都比売は空海にこういいます。

「私はこの山の主です。あなたにこの領地を差し上げよう」と告げました。

 

空海が丹生都比売に聞きます。

「いったいあなたは何者なのですか?」と尋ねたところ、

「私は丹生明神。もう一人の狩人は狩場明神である。」と告げ姿を消したそうです。

 

 

丹生都比売は高野山の山の神さまでした。そして丹生都比売神社を建立します。

 

 

丹生明神は天照大御神(あまてらすおうみかみ)の妹、

稚日女命(わかひるめのみこと)ともいいます。

 

「わかひるめ」は高野山のある「和歌山」の名前の由来になります。

 

その「わか」の「山」が、真言宗の修行の場として今もたくさんの人が集っておられます。

「丹生神社」という神社は、全国に八十八社ありますが、実はもっと多いとも言われています。

 

丹生の意味とは?

「丹」は、丹砂(朱砂)という赤茶色の鉱石のことなんです。

「丹」が「生まれるところ」という意味で「丹生」になります。

丹から出来るものは、神社の柱や鳥居に色づけされるあの「朱色」の顔料です。

朱色には、「血」の意味があり、血には霊力が備わり、魔除けの力があると考えられていました。

 

丹に隠されたもう一つの秘密とは?

「丹」から作り出せるものとしてもうひとつ重要なものが「水銀」です。

水銀は仏像に施す「金メッキ」に使用します。

水銀自体がメッキされるのではなく「金の仏像」に仕上げる過程で必要な貴重な材料になります。

つまり「丹生」というのは、「水銀の鉱脈」を示す言葉なのです。

 

奈良県にある東大寺には、3月に「お水取り」という祭りが行われます。

このお祭りは、6メートルの巨大たいまつに火を点し、天下泰平・五穀豊穣を祈るお祭りなのですが、この時にくみ上げる水は「福井県の若狭」の水が使われます。

 

なぜ奈良から遠く離れた若狭の水を使うのか?

同じ時期に福井県の若狭にある神宮寺では「お水送り」という儀式が行われます。

このお祭りにも、東大寺と同じように巨大たいまつが使われます。

www.weblio.jp

「お水送り」の水は「お香水」と言われていて、若狭から東大寺まで10日間かけて運ばれます。

神事を行っている姿をみれば分かるとおり、どう見ても密教の装束です。

このお寺は天台宗なのですが、「神」と「寺」が融合した神仏習合の社寺総合施設です。

 

 

お香水とは?

お香水とは、実は…

 

「水銀」のことだったのではないか?と考えられています。

奈良県は東大寺の大仏をはじめ、たくさんのお寺や仏像がありますよね?

 

空海が生きた時代は平安時代ですから、都は京都です。しかしその前は?

 

奈良時代ですよね。

 

飛鳥時代・奈良時代は仏教が普及していった時代ですから、この時作られたたくさんの仏像をメンテナンスするため、常に水銀が必要だった?とも考えられませんか?

 

東大寺の大仏様はその当時は「金ぴか」に輝いていたと言われていますから、大量に水銀が必要だったことは容易に想像できますよね。

 

若狭と空海の関係とは?

ではなぜ空海と水銀が関係あるのか?と言いますと…

福井県の若狭三方地方には、空海が訪れ、一夜で彫ったといわれる石仏があります。

花崗岩に彫られたこの仏像は、空海が右手を彫り残して下山してしまったという伝説が残されています。

 

残りの作業が右手だけになったとき、夜が明けたためそのまま下山したようです。

せめて完成してから降りればいいのに…と思ってしまいました。

 

石仏のほかにも、空海が彫ったと言われる木彫りのお地蔵様も存在します。

つまり、空海はこの地にも来ていたことになります。

実はこの若狭にも「水銀鉱山」があることが分かっています。

 

ちょっと繋がってきましたか?

 

空海の旅の目的は?

空海の伝説は日本中いたるところにも存在します。北海道にもあるぐらいです。

 

空海はなぜそこまで全国各地を回り歩いたのか?

密教を広めながら人々を救うためでしょうか?

 

もちろんそれも理由のひとつでしょう。

しかしあの天才空海が旅した理由がそれだけではちょっと寂しいですよね。

おそらく空海は、全国を渡り歩きながら、「霊場」を探していたのではないでしょうか?

全国に密教のお寺(霊場)を作るため、人々を救いながら候補になるような場所を探していたのではないでしょうか。

 

四国八十八箇所めぐり(お遍路)は空海が開き、広めたのですがこのお寺(霊場)の多くが実は…

「水銀の鉱脈に沿って建てられている」ことが分かっています。

 

空海は中国で密教を学びました。中国といえば「風水」ですよね。

 

風水は龍脈に沿って気の流れが大地に宿るという考えです。

 

龍脈とは鉱脈のことではないか?という考えもあります。

つまり、空海はこの風水(鉱山学)を中国で学び、密教の霊場を探すために用いたのではなかったのか?ということです。

 

水銀(丹生)の採取できる場所=大地の気が溢れる場所(霊場)

 

とは考えられませんか?

 

もしもそうならば丹生の高野山を修行場としたことや、お遍路も霊場を回って修行すると考えればとても納得しませんか?

 

そしてその大地の気が作り出した霊力の塊「丹生」を、仏様のお供えする。

 

もしかしたら空海は、日本全国をまわる「日本お遍路」版を作ろうとしていたのかもしれません。

空海はいまでも

空海は62歳でその激動の生涯を閉じます。

 

きっかけは皮膚に疾患ができたことでした。

その時には原因も分からず、治療方法もなかったと言われています。

 

そしてその翌年に「五穀断ち」を始めます。

 

即身仏となってこの世に無限に生き続けるためです。

密教ではこれを「入定」と言います。

 

「空海は死んだのではなく、今も奥の院で瞑想を続けている」と信じられています。

 

「空海は死んだのではない。いつもそばにいる」

「あなたとともに歩いてくださる」

お遍路さんのかばんと背中には、「同行二人」その言葉がしっかりと書かれています。

時は流れ、今ではお遍路さんの衣装もインターネットで気軽に購入できる時代です。

外国の人がお遍路を回ることも珍しくない時代になりました。

空海さんのスーパー頭脳は、こんな風になると想像していたでしょうか?

 

空海の入定を聞いた長安の青龍寺では、すべての者が粛然(しゅくぜん)として、

素服(喪服)を着けて弔意を示したといいます。

 

この約90年後に、石室の中に入った人間がいるのですが、その人が見た空海は

「髪の毛とひげが伸びきり、今も生きているようだった」と証言しています。

そしてこの時に天皇より「弘法大師」の名を授かります。

 

空海は、今も御陵の石室のなかで座したまま、手には印を結び、真言を唱え続けています。

 

合掌してその姿を念ずれば、真言を唱える空海の太く低い声が私にも聞こえてくるような気がします。

 

あなたの運命は>>>

最後まで読んでいただきまして

ありがとうございました。

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